2021年6月26日土曜日

ラーメン / 香福 (喜多方市)

店舗は外観も店内も小ざっぱりしていて今風で少し寂しい。
人気店なので芸能関係者も訪れていると思うが、サイン色紙などをこれみよがしにベタベタと下品に貼っていない所が好ましい。

ラーメンの名称が一風変わっていて、チャーシューメンが「お肉ラーメン」、しらがネギラーメンは「告白ラーメン」、万能ねぎラーメンが「青春ラーメン」と呼んでほしいそうだ。
ご飯類も充実していて、白飯以外に4種の丼物がある。

ベーシックな「ラーメン並盛」をお願いした。
味の濃さや麺の茹で加減を指定できるがデフォルトで注文。
スープは透明感のある薄い褐色で醤油の味や香りは感じられない、ほぼ塩ラーメンと言って差し支えのないもの。坂内食堂を連想するが、坂内食堂よりもアッサリとしている。やや塩っぱめ。
麺は喜多方にしてはやや細めで柔らかめ。
具はネギとメンマとチャーシュー。
チャーシューは薄味で分厚くスライスされた脂身の多い物で、スープ同様に坂内食堂を想起する。
駐車場は店舗の裏に在る。店の脇の狭い通路を通るより、裏道からの方が出入りが容易だ。

香福【こうふく】
住所 : 福島県喜多方市三丁目4840
電話 : 0241-23-3878
定休日 : 火曜日
営業時間 : 7:30〜14:00 (スープが無くなり次第終了)
駐車場 : あり

2021年6月21日月曜日

強清水 / 会津若松市

強清水【こわしみず】

福島県が定める「ふくしまの水三十選」の内の「ふるさとの泉9選」の一つ。いわゆる銘水である。
「滾々と湧き出る」とはこの様な事を言うのだと言わんばかりにまさに滾々と湧いている。
湧き水周辺は昔は二本松街道沿いの休所として栄えた。現在も何軒もの蕎麦屋が在るのは当時の茶店の名残か。
ここ強清水の各蕎麦屋の名物は天ぷらで、スルメや身欠き鰊などの乾物と饅頭といったその天タネの特殊性から“強清水の天ぷら”として知られるようになった。
饅頭の天ぷらは醤油を付けて食べると餡の甘味と醤油の塩気と揚げ油のコクが相まって、えも言われぬ味わいになると絶賛する向きもある。


強清水の由来

1231年(寛喜3年)のこと。
木こりをしていた与曽一と与曽二という父子がいた。父の与曽一はまじめな働き者だったが、息子の与曽二は大の怠け者で、年中酒を飲み、ついには追い剥ぎをするようにまで成り果てた。
悪たれ息子のせいで米も買えないほどに困窮していたが、父の与曽一は山仕事の帰りにはいつも酒に酔っていた。
不思議に思った息子の与曽二は父のあとをつけてみると、父与曽一は山仕事を終えての帰宅途中にある清水を酒に見立てて呑んでいたのであった。
与曽二はその父の姿を見て己の親不孝を悔い改め、それ以降は孝行を尽くした。

 会津盆唄の一節
  ハァー恋(鯉)の滝沢 舟(鮒)石こえて
  親は諸白 子は清水
というのは、まさに、この父子の物語をうたったものである。

…と言うのが会津かわひがし町観光協会の案内板に書かれている内容なのだが、民謡の歌詞の部分の意味が解らない。
滝沢と船石は地名なのか。
鯉と鮒は何の意味なのか。
「親は諸白 子は清水」は、バカ息子にはただの湧き水だが、父親は諸白(清酒に近い日本酒)のつもりで飲んでいた、と言う意味か。
会津かわひがし町観光協会はその辺の解釈も併せて記載して頂きたいのと、看板文字がかなり薄れて来ているので作り直して頂きたい。

強清水【こわしみず】

住所 : 福島県会津若松市河東町八田下ノ家
汲水 : 随時

2021年6月16日水曜日

鮭立磨崖仏 / 大沼郡金山町(2021)

金山町にある230年以上昔に彫られた仏像群 鮭立磨崖仏【さけだちまがいぶつ】


磨崖仏を示す標識付近に車を停めて、あぜ道を歩いて行った方が無難。車がUターンできるスペースが有りません。
定期的に手入れはされているようですが雑草が伸びるのは早いもので、アブやら蛾が飛び交う草むらの斜面を登ると磨崖仏群が見えて来ます。
近くには「立入禁止」の立て札がある謎の階段が在り、とても気になります。

五穀豊穣と病苦の退散を祈う鮭立磨崖仏

岩の窪み(幅約5メートル、高さ約2メートル)に彫られた仏像群。
天明の飢饉の惨状を見て、修験者“法印宥尊”が五穀豊穣と病苦の退散を祈って磨崖仏を彫り始め、“法印賢誉”が完成させたものと伝えられているが、その法印宥尊と法印賢誉がどのような人物なのかが全く判らない。
制作当初は顔料で彩色したのだが経年劣化により現在は微かに顔料の名残が見られる状態になってしまった。
このまま風化と劣化に晒しておかずに、樹脂などでコーティングする術は無いのだろうか。

天明の飢饉

天明の飢饉とは1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉である。

1783年のアイスランドのラキ火山とグリムスヴォトン火山の噴火により膨大な量の火山ガスが放出され、成層圏まで上昇した塵は北半球を覆い、地上に達する日射量を減少させ低温化と冷害を招いたのが原因の一つと考えられている。
また、国内では岩木山と浅間山の大噴火による降灰が、関東から東北にかけて始まっていた飢饉に更に追い討ちをかけた。

田畑に使える土地が少ない上に、山間で日照時間も乏しい豪雪地帯のこの鮭立地域での飢饉はさぞや大変な状況だったろうと推察する。
村人の窮状に具体的に何も手助けができない修験者が、すがる思いで岩肌に仏の姿を彫り続けたのだろう。

山間の小さな集落は、おそらく天明の飢饉の頃から、ひょっとすると稲作が伝わった弥生時代辺りから風景が変わっていないのではないだろうか。
道路が舗装され家屋の屋根がトタン葺きに変わっただけで、何百年もの長い間ほぼ同じ風景が続いているように思う。

鮭立磨崖仏【さけだちまがいぶつ】

住所 : 福島県大沼郡金山町大字山入字石日山
駐車場 : なし

2021年6月11日金曜日

成法寺 / 南会津郡只見町

国重要文化財の観音堂を有する只見町の古刹「成法寺【じょうほうじ】」


成法寺観音堂

平安時代初期に徳一和尚によって開山したと伝えられている。
背後の岩山は古くから信仰の対象になっていて、弘法大師空海もここを訪れたという話が残っている。

室町時代の建立とされている観音堂は、その建築様式で1963年に国重要文化財の指定を受けるが、素人目には素っ気ない殺風景な建物で面白味がない。隣りの薬師堂の方がずっと興味を引く。
観音堂に安置されている聖観音座像は1955年に県重要文化財に指定。
それにしても背後にそびえる岩山が見事。成法寺の観音堂と薬師堂と岩山の相乗効果で、そのどれもが有難く見えてくるから不思議だ。

薬師堂

国重要文化財指定を受けている観音堂に比べ、装飾の細工が見ていて愉しい。
残念ながら薬師堂に関する情報は皆無。
只見町教育委員会も極上の会津プロジェクト協議会も国重要文化財には喰い付くが、文化財指定を受けていない物には冷た過ぎると思う。

成法寺

山号寺号 : 仏地山 成法寺
住所 : 福島県南会津郡只見町大字梁取字仏地1864-1
駐車場 : なし

2021年6月8日火曜日

醤油ラーメンと半チャーハン / らーめん こうへい (喜多方市)

らーめん こうへい

私は独創的で個性的なメニューで名をあげる今どきのラーメン屋よりも、昔ながらのスタイルを通している方が好みである。
お年寄りが作るラーメンには、まるで人間の体組成と成分がほぼ同じで自然と無理なく身体にラーメンが浸透してくるような、そんな感覚を覚える。
古くは喜多方北町郵便局の近くに在った「秀月」や、喜多方プラザ文化センター近くに在った「きぬた」のラーメンがそれであった。
“らーめん こうへい”のご主人夫婦はまだお若いのに、それらお年寄りが作る物に似たしみじみと美味いラーメンを作る。
背脂や黒醤油を使い新分野の喜多方ラーメンを開拓するも、その味わいは結局しみじみ美味い昔からのラーメンになる所が“こうへい”の面白い所でもあり、何度も足を運びたくなる理由なのだろう。

店内に入ってすぐの所にテーブル席が2つ。座敷に4人用座卓が6つ。
狭い店が多い喜多方では広い部類ではないだろうか。

醤油ラーメンと半チャーハン

“こうへい”と言えば麺もチャーシューも黒く染まってしまう真っ黒なスープの「漆黒ラーメン」ばかりが取り沙汰されるが、普通の正油ラーメンもかなり美味い。
この丼風景を見ていると“小山ゆうえんち”や“としまえん”などの老舗の遊園地を連想してしまう。
派手な演出や馬鹿騒ぎは無いが、押さえるべき所はシッカリ押さえている安心感のような物を感じる。


スープは漆黒ラーメンには及ばないものの結構黒く、味が濃い。麺はやや細めの縮れ麺。
具は固茹で玉子が1/4個、メンマ、刻みネギ、チャーシュー。
トロットロの半熟味玉が主流のラーメン界で、昔風の固茹で玉子ってのがイイね。しかも1/4個ってのがとてもイイ。普段どうって事もなく思っている茹で玉子が急に貴重な食べ物に思えてしまう。
こうへいもチャーシューが美味い店の一つで、噛めばホロリと崩れて脂身から旨味が溢れ出る。
半チャーハンもラーメン同様に濃い目に味付けされていて、香りはとても芳ばしい。


らーめん こうへい

住所 : 福島県喜多方市沼田6981
電話 : 0241-22-4328
定休日 : 木曜日
営業時間 : 11:00〜18:00(スープなくなり次第終了)
駐車場 : なし

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2021年6月6日日曜日

つげ義春と塔のへつり / 南会津郡下郷町 (2021)

塔のへつり【とうのへつり】

侵食と風化による造形

世の中の奇岩や珍妙な地形はほとんどが堆積と隆起と侵食と風化の賜物である。
“塔のへつり”は河食地形の好例として、国の天然記念物に指定されている。
ところで“塔のへつり”とはどう言う意味か。
調べてみると『へつりとは川に迫った険しい断崖のことで、塔の形をした断崖の意味』とある。また『へつりとは水際の岩場を横へ横へと移動すること』の意味も有るらしい。後者の方が塔のへつりに合っている。
どちらにしても、へつりという言葉は“塔のへつり”以外に使っているのを見た事も聞いた事も無い。

つげ義春の作品『もっきり屋の少女』

“もっきり屋の少女”は1968年8月に、漫画雑誌『ガロ』に発表されたつげ義春による短編漫画作品である。
つげ義春が塔のへつりの土産物屋で買った会津地方の方言を書いた手ぬぐいが切っ掛けとなり生まれた短編作品だが、作品中にはその舞台を塔のへつり付近とも会津地方とも特定できる要素はチヨジの言葉以外には皆無である。
コバヤシチヨジの言葉には会津方言を用いてはいるが、二人の常連客との会話全体を通してみると会津地方が舞台とは断言できない作品である。
作品中の居酒屋で働く少女コバヤシチヨジは一銭五厘で買われて来た身の上を「みじめです」と語る。
二人組の客を相手に乳首を触らせ、その快感に5分間耐えられたら赤い靴を買ってもらえる賭けをするチヨジ以外に居酒屋の主人などは登場しない。チヨジが一人で切り盛りしている居酒屋らしい。
チヨジが働く居酒屋で是非とも一杯やってみたい。
つげ義春が作品を描く切っ掛けとなった手ぬぐいを買った店は何処なのかとそれぞれの土産店を覗いてみたが、どこにも方言を書いた手ぬぐいは売ってはおらず、また、つげ義春との関係を示す物も無かった。

塔のへつり駐車場問題

会津鉄道会津線の踏切を過ぎた辺りから両側に有料駐車場が目立ち始める。
こんな所に駐車場すれば400メートルほど歩く羽目になる。
塔のへつりのすぐ近くには無料の駐車場が有るには有るが、これは土産物店の駐車場になっていて何かしらの商品を買う事を条件に無料で駐車できる所謂“飯盛山方式”なのだ。
無料駐車場の文字に騙されて車を停めると土産物店の店員が来て何か買えと言う。
購買意欲をそそる商品が有ればもちろん買わせて頂くが、どこの観光地でも売っている合成保存料タップリの菓子やキノコの水煮などが思わず「高っけーっ!」と声に出しそうな値段で売られている。
このような商売をしているといずれ飯盛山のような運命を辿る事になる。
キャッチセールス紛いの商売に見切りを付けて、つげ義春氏の協力を仰いでオリジナルのコバヤシチヨジ手ぬぐいの製作販売をする位の土産物店としての矜持を見せて欲しいものだ。



塔のへつり(塔の岪)

住所 : 福島県南会津郡下郷町弥五島下タ林
見学 : 無料
駐車場 : 有料もしくは土産物を買わされる

2021年6月1日火曜日

三本住庵の墓 / 阿弥陀寺 (喜多方市塩川町)

飯沼貞吉を救った三本住庵の墓がある喜多方市塩川町の阿弥陀寺


喜多方市塩川町

今でこそ塩川町は喜多方市に併合されてしまったが、戊辰戦争当時の塩川町は米沢街道の宿場町として栄えていたようだ。
当時は新潟から阿賀川を通って米や塩などを積んだ船が盛んに行き来していたと言う。
現在でも当時の名残りが有るせいか、塩川町は小さいながら会津若松市などよりもずっと趣きがある町並みで、歩いてみると面白い。
会津新選組陣所が有って斎藤一も長逗留したと言うが、現在はそれを示す標示も無い。とても勿体ない話である。

三本住庵【みつもとじゅあん】

現在の東邦銀行塩川支店は会津藩塩川本陣が置かれた場所で、自害を試みたが運良く蘇生した白虎隊士 飯沼貞吉が一時期匿われて治療を受けた所である。
治療にあたったのは町医者の三本住庵【みつもとじゅあん】と長岡藩軍医の
阿部宗達と吉見雲台の3名。
三本住庵が応急手当を施し、阿部宗達と吉見雲台が改めて治療し直したようである。
その後、飯沼貞吉は喜多方市北東部に在る清竜寺の不動堂に潜み、密かに長州藩士 楢崎頼三【ならざき らいぞう】に連れられ、長州で充分な教育を受ける事ができた。

その三本住庵の住まいは東邦銀行の斜め向かいに在ったようだ。現在、小さな公園になっている辺りなのかと思うが標示など何も無い。
墓は東邦銀行向い側の阿弥陀寺にある。
三本住庵は飯沼貞吉の治療にあたった事もあり興味をそそる人物だと思うのだが、その墓はゴチャゴチャと過密的に集約された墓石群の一角にあり、塩川町としてはそれほど重要視していない人物なのかと思われる。
明治戊辰戦死供養塔のような標識も無く冷遇されているように感じた。
三本住庵の戒名は「廣安院濟譽民山寶生居士」。
墓石の背面には「三代三本住庵定茂墓 壽七十二歳」
「明治二十四辛卯年」の文字が読み取れる。
1891年(明治24年)72歳没。
会津地方は幕末期の重要な史跡が有り余るためか、その扱いが粗雑過ぎる。
主だった産業らしい産業も無く観光が大きな収入源にもかかわらず、その集客の源となる歴史資源を大切にしない矛盾を解決しなければ会津に未来は無い。


阿弥陀寺

山号院号寺号 : 鹽泉山 一行院 阿彌陀寺 (塩泉山 一行院 阿弥陀寺)
住所 : 福島県喜多方市塩川町字反町925
駐車場 : あり

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