2009年9月28日月曜日

そばドッグ / 道の駅裏磐梯 (耶麻郡北塩原村)

 “道の駅裏磐梯”は桧原湖の西側、459号線と会津米沢街道の交差点近くに在る。

駐車場に面して売店が幾つか並んでいる中に、「そばドッグ」が売られているのを見つけた。

売り子のお姉様に伺うと、ホットドッグのソーセージの代わりに日本蕎麦と野菜類を挟み込み、そば汁で味付けをした物とご説明を頂きました。

ホットドッグ界の“ヒデとロザンナ”的な存在である。


縦に切れ込みを入れた自家製のパンをホットプレートで加熱している間に蕎麦の下味付けをし、頃合いを見て取り出したパンに下味を付けた蕎麦を挟み込み、トマト・レタス・長ネギなどの野菜をトッピング。

仕上げのそば汁を少し垂らし、天カスを散らして出来上がり。

仕上げのそば汁はワサビ入りとワサビ無しを選べる。


私はワサビ入りをお願いしたが、ワサビ無しの方がパンに合うような気がする。

自家製パンは、表面がパリパリとしていて香ばしく、とても美味い。

そのパンとそば汁と天カスの相性は想像以上に良いものだった。

この相性抜群の3点が有れば、挟み込む物は蕎麦以外にも饂飩や素麺でもソコソコいけそうな気がする。

そばドッグ / 道の駅裏磐梯 (耶麻郡北塩原村)


■□■ 店舗情報 ■□■

店名 : 道の駅裏磐梯

住所 : 福島県耶麻郡北塩原村桧原南黄連沢山1157

電話 : 0241-33-2241

定休日 : 無休

営業時間 : 8:30~17:30

駐車場 : 75台

写真 : そばドッグ 430円(税込み)

2009年9月8日火曜日

藤田五郎の墓 / 阿弥陀寺 (会津若松市)

 会津若松市の現在の繁華街は、鶴ヶ城から会津若松駅へと続く新明通りだが、江戸の頃は鶴ヶ城北西部の七日町付近までが城下町として賑わっていたらしい。

阿弥陀寺はJR只見線の七日町(なぬかまち)駅の真ん前に在る。


この寺には藤田五郎の墓がある。

藤田五郎とは、新撰組三番隊組長である斎藤一が明治維新後に使った名前である。

藤田五郎は本名を山口一という。その後、斎藤一・山口二郎・一瀬伝八と変え、明治の初め頃に藤田五郎と改名した。

いずれの名前にも数字が入っているが、どういう拘りが有ったのだろうか。

藤田五郎の墓 / 阿弥陀寺 (会津若松市)

父、山口祐助は明石藩(現在の兵庫県明石市あたり)の浪人で、江戸に出て来て御家人の株を買ったらしい。

藤田五郎は父が江戸に出てきてから生まれたとするのが通説。

近藤勇とは道場試衛館の頃からの知り合いだったが、いつ頃から正式に新撰組の隊員と成ったかについては、藤田五郎の行動に不明な点が多すぎる事と、新撰組自体が統一された行動をとっていない事などにより明確になっていない。

戊辰戦争時には会津藩の指揮下で白河口の戦い・母成峠の戦いに参戦。

会津藩の降伏後は、塩川(現:福島県喜多方市)・高田(現:新潟県上越市)で謹慎生活を送った。

その後、青森県五戸町に移り、2度の結婚をする。

東京で警視官に採用され、西南戦争に参戦。

1891年に退職し東京高等師範学校などに警備員として勤務し、1915年9月28日死去。


「波乱万丈の生涯」とは、彼のような事を言うのだろう。

本人の希望により会津若松市の阿弥陀寺に墓が建てられたらしいのだが、なぜ彼がこの寺を指定したのかなどは不明。

この阿弥陀寺には明治初期に鶴ヶ城から移築された御三階が在る。


■□■ 店舗情報 ■□■

寺名 : 阿弥陀寺

住所 : 福島県会津若松市七日町4-20

電話 : 0242-27-7445

駐車場 : 無し

写真 : 藤田五郎の墓