2021年7月21日水曜日

沢尻の棚田 / 伊具郡丸森町

「日本棚田百選」に選ばれている棚田だと言うことなので期待していたが、実にこじんまりした小さな棚田で、少々ガッカリ。
棚田と聞くと千枚田と言う言葉を連想し、小さな田んぼが無数に重なっている風景を思い浮かべていたが、10枚程度の小規模なものだった。
この程度の物ならば山間の狭い土地なら沢尻じゃなくても見かける事があるように思う。
しかし見渡す限り田や森林の緑が広がる風景は清々しくて気持ちが良い。

棚田に至る道は土砂崩れが有ったらしく、道路の両脇に大きな石がゴロゴロと転がっており、一部舗装が剥がされ水が流れていた。


沢尻の棚田
住所 : 宮城県伊具郡丸森町大張川張
駐車場 : 2台分ほど

2021年7月16日金曜日

チャーシューが劇的に美味い らーめん / 天高盛 (喜多方市) 2021

いつ行っても満席か既に終了していて、なかなか頂くことが出来なかった天高盛【てんこもり】。
開店時刻より15分ほど前に通りかかったら開店していたのですかさず入店。既に8割程の客入り。
らーめんを注文。5分ほどでホール担当のお爺さんが運んで来た。

以前頂いたのは十年以上前の新規開店間もない頃だった。その時は丼から立ち上る湯気に豚の大群が押し寄せて来るような圧倒的な豚感が有ったが、今回はそれは薄らいで落ち着いた香り。
スープを一口飲んでみるが、やはり豚感は薄れていた。しかも味が薄くてぬるい。以前お邪魔した時に、来る客たちが異口同音に「味、濃いめで」と注文していた事を思い出した。

麺は喜多方ラーメンらしい中太縮れ麺。僅かに硬めの茹で具合がちょうど良い。
具は多めの刻みネギとメンマとチャーシュー、そしてナルト。
この味の薄いスープには多めのネギは不要な気がする。
特筆すべきは薄味で厚切りのチャーシューの旨さだ。正確には叉焼ではなく煮豚だが、脂身の多いバラ肉を使っていながらしつこさが全く無い。脂身が苦手な私もこのチャーシューならワッシワッシと食べられる。
メンマも味が薄い。
何もかも薄味で、美味いのかなんなのか良く判らないのに、しばらく経つとまた食べたくなるのはチャーシューの旨さに拠る所が大きいと思う。
ご注文の際は魔法の呪文『味、濃いめで!』をお忘れなく。


天高盛【てんこもり】

住所 : 福島県喜多方市豊川町米室アカト5246-115
電話 : なし (非公開らしい)
定休日 : 火曜日
営業時間 : 11:00〜14:30
駐車場 : 約10台くらい

2021年7月11日日曜日

妖怪と弾痕の諏訪神社 / 会津若松市

会津若松市本町の諏訪神社は1294年の創建。当時の地名は“黒川”で、1593年に蒲生氏郷が“若松”と改める300年も前の事となる。
蒲生氏郷が黒川城を改築し城下町を整備した際、外堀の内側(郭内)の唯一の神社だったようだ。
社殿は戊辰戦争時に焼失し、その後は仮社殿のままだったが、1993年に本殿を含む大々的な再建が行われ現在に至る。

鳥居に残る弾痕

鳥居には戊辰戦争当時の弾痕が残っている。
新政府軍が佐川官兵衛が率いる会津軍に向って放った弾丸跡とされている。

妖怪“朱の盆”

朱の盤・首の盆などの異名が有るようだが、ゲゲゲの鬼太郎などの妖怪物の世界では“朱の盆【しゅのぼん】”で統一されているようだ。
盆のように丸くて大きく真っ赤な顔の妖怪。それが小泉八雲の“狢【むじな】”の“のっぺらぼう”ように何度も連続的に驚かせて被害者は死に至る。
以下のような話がある。

山田角之進なる若侍が諏方神社に出る妖怪の正体を確かめようと夜中に出かけ、朱の盆に遭遇し、その恐ろしさのあまり失神する。
息を吹き返し家路を急ぐ途中に再び朱の盆に出会い、やっとの思いで帰宅したが、心労の余り100日間寝込んだ挙げ句、家人に成りすました朱の盆にまたもや間近で遭遇し、ついには悶死してしまった。
http://aizuhonmachi.blogspot.com/2015/07/shunobon.html?m=1

今では妖怪もすっかり鳴りを潜め、戊辰戦争での激しい戦いが有った事さえ想像できないような静かな神社になっている。


諏訪神社

住所 : 福島県会津若松市本町10-32
駐車場 : なし

2021年7月6日火曜日

日本基督教団若松栄町教会 / 会津若松市

野口英世と山内ヨネ子

山内ヨネ子は野口英世の初恋の女性とされている。
ヨネ子は医師 山内立真の娘として生まれたが、明治22年に父親が亡くなった。この時ヨネ子はまだ7歳。山内家を再興させたいと願っていた母親の希望通り、後に若松で最初の女医となり、「三省堂」を開院する。
左がヨネ子

ヨネ子は女学生時代に日本基督教団若松栄町教会で出会った野口清作(後の英世)から執拗なストーカー行為を受ける。
その当時、日本基督教団若松栄町教会は日新町に在り、野口清作の下宿は辻向かいに在った。二階の角部屋に棲んでいた清作は教会に通うヨネ子の姿にねちっこい情念の視線を送っていた。
執拗に恋文を送り付け大問題になった事もある。
ヨネ子にしてみれば、清作などは猪苗代から出て来た田吾作野郎としか思っていなかっただろう。
確かに清作は成績優秀だったが、生まれつきの天才でもなければ、学問好きの青年でもない。学問を己の不遇な環境から脱するための手段としか考えていない所があからさまだった。
清作にとっての学問は、金満家が金に物を言わせるがごとく、ならず者が腕力に物を言わせるがごときものであり、そんな清作の卑しくさもしい部分をヨネ子は見透かしていたのだろう。
現在、山内ヨネ子の住まい跡辺りから若松栄町教会付近までの通りは「野口英世青春通り」と名前を付けられているが、実際は「山内ヨネ子受難通り」だったのだ。

後にヨネ子は年の離れた医者の後妻となる。
初婚で11歳も年上の男の後妻になってまで家の再興を計る、ある意味取り憑かれたような生き方はなんとも憐れだ。
4人の子供をもうけた後に夫は他界。
そこに又ストーカー野口が接近するが、またもや撃沈。野口英世の人の迷惑も顧みず、己の欲求を全うする事にのみ注力する姿勢には、やはり「ストーカー」という言葉以外には思いつかない。

ヨネ子は医院を一人で続け、1945年に64歳で亡くなった。
墓は会津若松市栄町の興徳寺にある。


日本基督教団若松栄町教会

藤生 金六【ふじう きんろく】が1894年(明治27年)8月に会津若松に若松栄町教会を創設。
1895年(明治28年)4月に野口清作はここで洗礼を受けた。
1911年(明治44年)に現在の地に移転。
この時期の西洋風建築物はとても面白く、中を拝見したいものなのだが、礼拝堂内の見学はできない。
日新町の教会跡地は空き地になっており、雑草が生い茂っている。ひどく狭い土地だが、どのような建物が在ったのだろう。

日本基督教団若松栄町教会

住所 : 福島県会津若松市西栄町8-36
駐車場 : なし
見学 : 随時(建物内は不可)

旧日本基督教団若松栄町教会跡地

住所 : 福島県会津若松市日新町15-51  (有)ウエキヤの裏

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2021年7月1日木曜日

郡山布引高原風力発電所 / 郡山市

猪苗代湖と磐梯山を見渡す高原の郡山布引高原風力発電所【こおりやましぬのびきこうげんふうりょくはつでんしょ】


会津若松市と天栄村と郡山市の境界近く、ギリッギリ郡山市の布引高原にある風力発電機群。
標高1,000メートルを超えているので、ゴールデンウィークに行っても食べ頃を若干過ぎてはいるもののフキノトウをあちらこちらに見かけるほど麓とは気候が違っている。
規模的には国内では最大で、33基のドイツ製風力タービンによる供給電力は約35,000世帯分にも及ぶとの事。
近くに寄ると高さ100mもある風車がシュワッ…シュワッ…と風を切る音が聞こえる。
駐車場近くには特産の布引高原大根を売る売店がある。
季節により菜の花、ヒマワリ、コスモスが一面に咲き誇り、それはそれは見事である。

未舗装の遠くまで延びる道を歩いていると子供の頃を思い出す。

「まっすぐの道でさみしい」 by 種田山頭火



郡山布引高原風力発電所

住所 : 福島県郡山市湖南町赤津字西岐
見学期間 : 4月28日~11月30日(12月1日~4月27日は道路冬期閉鎖)
駐車場 : あり
花の見頃 : 
5月上旬~6月上旬・・・菜の花
8月中旬~9月上旬・・・ヒマワリ
8月下旬~10月中旬・・・コスモス

2021年6月26日土曜日

ラーメン / 香福 (喜多方市)

店舗は外観も店内も小ざっぱりしていて今風で少し寂しい。
人気店なので芸能関係者も訪れていると思うが、サイン色紙などをこれみよがしにベタベタと下品に貼っていない所が好ましい。

ラーメンの名称が一風変わっていて、チャーシューメンが「お肉ラーメン」、しらがネギラーメンは「告白ラーメン」、万能ねぎラーメンが「青春ラーメン」と呼んでほしいそうだ。
ご飯類も充実していて、白飯以外に4種の丼物がある。

ベーシックな「ラーメン並盛」をお願いした。
味の濃さや麺の茹で加減を指定できるがデフォルトで注文。
スープは透明感のある薄い褐色で醤油の味や香りは感じられない、ほぼ塩ラーメンと言って差し支えのないもの。坂内食堂を連想するが、坂内食堂よりもアッサリとしている。やや塩っぱめ。
麺は喜多方にしてはやや細めで柔らかめ。
具はネギとメンマとチャーシュー。
チャーシューは薄味で分厚くスライスされた脂身の多い物で、スープ同様に坂内食堂を想起する。
駐車場は店舗の裏に在る。店の脇の狭い通路を通るより、裏道からの方が出入りが容易だ。

香福【こうふく】
住所 : 福島県喜多方市三丁目4840
電話 : 0241-23-3878
定休日 : 火曜日
営業時間 : 7:30〜14:00 (スープが無くなり次第終了)
駐車場 : あり

2021年6月21日月曜日

強清水 / 会津若松市

強清水【こわしみず】

福島県が定める「ふくしまの水三十選」の内の「ふるさとの泉9選」の一つ。いわゆる銘水である。
「滾々と湧き出る」とはこの様な事を言うのだと言わんばかりにまさに滾々と湧いている。
湧き水周辺は昔は二本松街道沿いの休所として栄えた。現在も何軒もの蕎麦屋が在るのは当時の茶店の名残か。
ここ強清水の各蕎麦屋の名物は天ぷらで、スルメや身欠き鰊などの乾物と饅頭といったその天タネの特殊性から“強清水の天ぷら”として知られるようになった。
饅頭の天ぷらは醤油を付けて食べると餡の甘味と醤油の塩気と揚げ油のコクが相まって、えも言われぬ味わいになると絶賛する向きもある。


強清水の由来

1231年(寛喜3年)のこと。
木こりをしていた与曽一と与曽二という父子がいた。父の与曽一はまじめな働き者だったが、息子の与曽二は大の怠け者で、年中酒を飲み、ついには追い剥ぎをするようにまで成り果てた。
悪たれ息子のせいで米も買えないほどに困窮していたが、父の与曽一は山仕事の帰りにはいつも酒に酔っていた。
不思議に思った息子の与曽二は父のあとをつけてみると、父与曽一は山仕事を終えての帰宅途中にある清水を酒に見立てて呑んでいたのであった。
与曽二はその父の姿を見て己の親不孝を悔い改め、それ以降は孝行を尽くした。

 会津盆唄の一節
  ハァー恋(鯉)の滝沢 舟(鮒)石こえて
  親は諸白 子は清水
というのは、まさに、この父子の物語をうたったものである。

…と言うのが会津かわひがし町観光協会の案内板に書かれている内容なのだが、民謡の歌詞の部分の意味が解らない。
滝沢と船石は地名なのか。
鯉と鮒は何の意味なのか。
「親は諸白 子は清水」は、バカ息子にはただの湧き水だが、父親は諸白(清酒に近い日本酒)のつもりで飲んでいた、と言う意味か。
会津かわひがし町観光協会はその辺の解釈も併せて記載して頂きたいのと、看板文字がかなり薄れて来ているので作り直して頂きたい。

強清水【こわしみず】

住所 : 福島県会津若松市河東町八田下ノ家
汲水 : 随時

2021年6月16日水曜日

鮭立磨崖仏 / 大沼郡金山町(2021)

金山町にある230年以上昔に彫られた仏像群 鮭立磨崖仏【さけだちまがいぶつ】


磨崖仏を示す標識付近に車を停めて、あぜ道を歩いて行った方が無難。車がUターンできるスペースが有りません。
定期的に手入れはされているようですが雑草が伸びるのは早いもので、アブやら蛾が飛び交う草むらの斜面を登ると磨崖仏群が見えて来ます。
近くには「立入禁止」の立て札がある謎の階段が在り、とても気になります。

五穀豊穣と病苦の退散を祈う鮭立磨崖仏

岩の窪み(幅約5メートル、高さ約2メートル)に彫られた仏像群。
天明の飢饉の惨状を見て、修験者“法印宥尊”が五穀豊穣と病苦の退散を祈って磨崖仏を彫り始め、“法印賢誉”が完成させたものと伝えられているが、その法印宥尊と法印賢誉がどのような人物なのかが全く判らない。
制作当初は顔料で彩色したのだが経年劣化により現在は微かに顔料の名残が見られる状態になってしまった。
このまま風化と劣化に晒しておかずに、樹脂などでコーティングする術は無いのだろうか。

天明の飢饉

天明の飢饉とは1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉である。

1783年のアイスランドのラキ火山とグリムスヴォトン火山の噴火により膨大な量の火山ガスが放出され、成層圏まで上昇した塵は北半球を覆い、地上に達する日射量を減少させ低温化と冷害を招いたのが原因の一つと考えられている。
また、国内では岩木山と浅間山の大噴火による降灰が、関東から東北にかけて始まっていた飢饉に更に追い討ちをかけた。

田畑に使える土地が少ない上に、山間で日照時間も乏しい豪雪地帯のこの鮭立地域での飢饉はさぞや大変な状況だったろうと推察する。
村人の窮状に具体的に何も手助けができない修験者が、すがる思いで岩肌に仏の姿を彫り続けたのだろう。

山間の小さな集落は、おそらく天明の飢饉の頃から、ひょっとすると稲作が伝わった弥生時代辺りから風景が変わっていないのではないだろうか。
道路が舗装され家屋の屋根がトタン葺きに変わっただけで、何百年もの長い間ほぼ同じ風景が続いているように思う。

鮭立磨崖仏【さけだちまがいぶつ】

住所 : 福島県大沼郡金山町大字山入字石日山
駐車場 : なし

2021年6月11日金曜日

成法寺 / 南会津郡只見町

国重要文化財の観音堂を有する只見町の古刹「成法寺【じょうほうじ】」


成法寺観音堂

平安時代初期に徳一和尚によって開山したと伝えられている。
背後の岩山は古くから信仰の対象になっていて、弘法大師空海もここを訪れたという話が残っている。

室町時代の建立とされている観音堂は、その建築様式で1963年に国重要文化財の指定を受けるが、素人目には素っ気ない殺風景な建物で面白味がない。隣りの薬師堂の方がずっと興味を引く。
観音堂に安置されている聖観音座像は1955年に県重要文化財に指定。
それにしても背後にそびえる岩山が見事。成法寺の観音堂と薬師堂と岩山の相乗効果で、そのどれもが有難く見えてくるから不思議だ。

薬師堂

国重要文化財指定を受けている観音堂に比べ、装飾の細工が見ていて愉しい。
残念ながら薬師堂に関する情報は皆無。
只見町教育委員会も極上の会津プロジェクト協議会も国重要文化財には喰い付くが、文化財指定を受けていない物には冷た過ぎると思う。

成法寺

山号寺号 : 仏地山 成法寺
住所 : 福島県南会津郡只見町大字梁取字仏地1864-1
駐車場 : なし