2020年12月20日日曜日

268円の焼きサバ弁当 / かわちや 若松店 (会津若松市)

もう10年以上前から『268円 弁当』の看板を見てその存在は知っていたが、268円じゃロクな弁当ではないだろうとの勝手な思い込みで食べた事が無いばかりか、❛かわちや❜というスーパーで買い物さえした事がなかった。
今回はちょっとした好奇心で268円弁当を食べてみようと出かけてみた。

かわちや若松店は朝8時から営業しているスーパーで、会津若松市の米代【よねだい】という場所にある。
米代と言えばNHK大河ドラマ『八重の桜』主人公の山本八重の生家が在った所だ。
今は八重の時代には無かった町内を斜めに走る道が出来、生家が在った場所は駐車場となっている。


朝8:50頃入店し、店内をグルリと歩いてみるとどれもこれも低価格。
このスーパーの大きな特徴は背の高い陳列棚が少ない点だ。
昔の商店のような陳列方法に懐かしさを感じる。

何種類もの弁当が出来上がって並んでいた。268円弁当だけでも5種類ほど有るようだ。
焼きサバ弁当とカツ丼の2つを買い物カゴに入れた。

まず、朝食に「焼きサバ弁当」を頂く。
中身は塩焼きサバ2切れ、漬け物2種、青菜のおひたし、牛蒡の煮たもの、玉子焼きと絢爛たる顔ぶれ。
オカズは全体的に薄味。
鯖は鮮度が落ちたものは焼いても臭みが出てしまうものだが、そんな事もなく実に美味い。

量的には育ち盛りの年代には物足りないが、人生の衰退期に差し掛かった私には丁度良い量だった。

お昼には268円のカツ丼を頂く予定。


■□■店舗情報■□■
店名 : かわちや 若松店
住所 : 福島県会津若松市米代2丁目6-36
電話 : 0242-26-0100
営業 : 8:00~20:00
写真 : 焼きサバ弁当(268円+消費税8%)

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2020年12月18日金曜日

のり弁当 / エルちゃん弁当 日新店 (会津若松市)

味良し盛り良しのからあげ弁当で知られる会津若松のエルちゃん弁当。
思えばからあげ弁当以外を食べた記憶が無い。
他のメニューを食べてみようかと思い、どこのほか弁屋さんにでもある「のり弁」を食べてみることにした。
ほっともっとでは330円で販売しているが、エルちゃん弁当では470円とややお高い。
あと90円プラスすればあの唐揚げ弁当が食べられるのだから、さぞやゴージャスなのり弁なのだろうと期待が膨らむ。

こちらがほっともっとののり弁
(ほっともっとホームページから引用)

こちらがエルちゃん弁当ののり弁
ほっともっとが白身魚フライなのに対し、エルちゃんはカレーコロッケ。
あと、漬け物ときんぴらが多め。
海苔の下には昆布佃煮とオカカが敷かれている。
『からあげ弁当にしとけば良かった』と言うのが正直なところでした。


■□■店舗情報■□■
店名 : エルちゃん弁当 日新店
住所 : 福島県会津若松市日新14-17
電話 : 0242-29-3751
営業時間 : 11:00~15:00 17:00~19:00
定休日 : 毎週水曜日
駐車場 : 4~5台
※​年末年始は休業

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2020年12月14日月曜日

白糸の滝 /会津若松市

旧滝沢本陣から徒歩で20分ほど歩き飯盛山の東側に回り、未舗装の細道を歩いていると水音が聞こえて来る。
「滝沢観音堂」の立て看板の傍には水音がする方へ続く階段が在る。

会津地方17市町村に観光協会などの民間団体を含む64団体で構成されている「極上の会津プロジェクト協議会」によると、会津地方は東北の中で最も早く仏教文化が開花した所で、古い仏像や寺院が数多く残っているとの事。
「仏都会津」をテーマに、会津の三十三観音めぐりや会津ころり三観音など様々なコースが設定されていて、この白糸の滝にある滝沢観音は三十三観音巡りの中の第十八番札所となるらしい。


お社よりも大きな看板が目立つ疣神様。
どのような効果が有るのか、また、イボ取りをどのような方法でお願いすればよいのかなど一切不明。
「南無不動明王」と書かれた赤い幟が続く参道を5分ほど歩くと滝が見えて来る。

滝の近くには白糸神社・御不動尊・御観音堂の小さなお社が3つ在る。


清らかで静寂。滝と小川の音しか聞こえない。
町中からそれほど離れていない所に、小さいながらも滝が有るなんて。
とても清々しい。


□■□滝情報□■□
名称 : 白糸の滝
住所 : 会津若松市一箕町大字八幡字〆治山甲1146-1

2020年12月10日木曜日

慶徳寺 / 喜多方市

慶徳寺

源翁心昭は喜多方市熱塩加納の、空海が開基とされる真言宗寺院 五峯山慈眼寺を1375年に曹洞宗に改宗して護法山示現寺と改めた。
その7年前の1368年に、喜多方市慶徳に庵を結んでいる。

ある時その庵に蘆名詮盛が狩猟で訪れたところ、庵の辺りから紫雲が湧いていることを見付け、紫雲山慶徳寺と号して源翁心昭を住職とした。

1396年に示現寺から慶徳寺に戻ったところ、那須の殺生石の霊が現れて白狐に変化した後に十一面観音となって前の山に飛んで行った。
そのために山号を紫雲山から巻尾山へと改めた。
そして白狐の霊を祀るために神社が建てられ、前の山は稲荷山と名付けられた。そこ在るのが現在の慶徳稲荷神社。

今でこそ喜多方市慶徳は田畑と森林が広がる長閑な地域だが、源翁心昭がこの地に来た頃にはまだ新宮城が存在していたし、長床で知られる新宮熊野神社も盛大で、案外賑わっていたのかも知れない。

慶徳寺の最大の魅力は、なんと言っても茅葺きの山門である。
赤く熟した柿や、周りの葉を落とした木々がよく似合っている。
おそらく四季折々それぞれの風景に溶け込む佇まいに違いない。
山門から本堂までの間にある苔むした数段の石段と石仏がまた良い。

山門に比べて本堂の方は、民家のような造りで寺らしい雰囲気に欠けていて残念である。

□■□ 慶徳寺情報 □■□

山号寺号 : 巻尾山 慶徳寺【けいとくじ】
住所 : 福島県喜多方市慶徳町豊岡字今町288
電話 : 0241-24-5323

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2020年12月7日月曜日

示現寺 / 喜多方市

那須町湯本の殺生石を打ち砕き、その後も飛び散った破片を執拗に追っては更に打割る源翁心昭(玄翁心昭)とはどのような人物だったのだろうか。

1329年(嘉暦4年)2月19日生まれ。心昭が本名。
生誕地は新潟県西蒲原郡弥彦村の矢作とも荻野とも。

得度は国上寺でとされている。
国上寺と言えば良寛が住まいとした五合庵で知られる古刹だが、国上寺のホームページを拝見しても源翁心昭に関しては一言も触れていない。
新潟には他にも国上寺が在るのだろうか。

源翁心昭と会津地方との関わりだが、諸国行脚をしていたが1367年に現在の喜多方市慶徳に庵を結ぶ。
その後も行脚を続け、空海が開基とされる真言宗寺院 五峯山慈眼寺を1375年に再興し、曹洞宗に改宗して護法山示現寺と改めた。
源翁心昭47歳の時である。


1385年、源翁心昭56歳の時、後小松天皇の勅命により那須殺生石の済度(迷い苦しんでいる者を救って、悟りの境地に導く事)を行い、「勅特賜 能照法王禅師源翁心昭大和尚」の号が授けられた。
この時の後小松天皇はまだ9歳。
1377年生まれの後小松天皇は5歳で即位し、父親である後円融上皇による院政が行われた。
1393年に後円融上皇が崩御すると、足利義満が事実上の上皇となり、後小松はその下での傀儡天皇となった。

一休さんでお馴染みの一休宗純は後小松天皇の御落胤との説がある。
一休宗純は1394年生まれなので、後小松天皇が17歳の時の子という事になる。

源翁心昭はその後もほぼ全国を行脚し、一休さんが6歳で京都の安国寺に入門した1,400年に72歳で亡くなった。
墓は喜多方市の護法山 示現寺にある。


示現寺は喜多方市の熱塩加納町にある。
熱塩加納町は2006年に喜多方と合併するまでは耶麻郡熱塩加納村であった。
熱塩温泉と日中温泉の2つの温泉を持つ農業中心の村だった。
その熱塩温泉の元湯の権利を示現寺が持っており、示現寺の駐車場脇には示現寺所有の足湯浴場がある。

足湯浴場の右側には「源翁湯」という浴場へ通じるドアがあるが、中は殺風景で狭く、小さな湯船が有るだけだった。


示現寺は周りを高い木々に囲まれ鬱蒼としている。
階段には苔が生えていて何ともいい具合いである。

風情のある鐘楼の下が物置代わりに使われており、除雪用と思われる小型ローダーが入っていた。

本堂脇を通り更に進むと殺生石の案内板が有るが、池を囲む石のどれが座禅石(殺生石)なのかは分からなかった。
階段をさらに進むと開山堂があり、ここには源翁心昭作の木像が安置されている。

開山堂 / 示現寺 (喜多方市)
この開山堂の右手の高台に木柵で囲われているのが源翁心昭のお墓である。


□■□示現寺情報□■□
山号寺号 : 護法山 示現寺 【じげんじ】
住所 : 福島県喜多方市熱塩加納町熱塩甲795

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2020年11月26日木曜日

玄翁石 / 耶麻郡猪苗代町

伊佐須美神社に在る殺生石

岩代國一之宮 伊佐須美神社に在る殺生石稲荷神社には大小2つの石が祀られている。
これは源翁心昭(玄翁心昭)が那須町湯本にある殺生石を打ち砕いた時に飛び散った物のひとつだが、耶麻郡猪苗代町にも同様に那須から飛んで来た殺生石の一部と伝わる玄翁石【げんのういし・げんのうせき】がある。

猪苗代町の玄翁石

殺生石稲荷神社の石よりもはるかに大きく、表面にはノミの跡の様な穴や縦横の線がある。
後に源翁心昭は猪苗代町に訪れ、那須から飛来した石を更に2つに割った。玄翁石にはその時、踏ん張った時に着いた源翁和尚の右足の跡と言われる窪みがある。

耶麻郡猪苗代町の玄翁石の場所

辺りには場所や地元に残る言い伝えなどを記した案内板などは全く無く、非常に分かりにくい場所に在る。
福島県道7号線(猪苗代塩川線)の麻郡猪苗代町磐根土田3444の角を北へ折れ、100m強を進むとクランクになる。
左折し、非舗装道を200m程進むと右折する道が現れる。
そこで左側を見ると道とは言いかねる畑の通路がある。
その通路を南へ歩くと玄翁石が唐突に現れる。
ご堪能ください。

■□■ 玄翁石情報 ■□■

石名 : 玄翁石 (げんのういし・げんのうせき)

住所 : 福島県耶麻郡猪苗代町磐根(以下不明)
駐車場 : なし

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2020年11月23日月曜日

ペグマタイト岩脈と鹿島大神宮 / 郡山市

ペグマタイトとは鬼御影とも呼ばれ、マグマが冷えて固まった岩石で、大きな結晶が特徴。
昭和の前半には焼き物の釉薬やガラス類の材料として採掘されていて、阿武隈山地は国内でも有数の大産出地だったようだ。
現在ではほぼ採掘され尽くされた状態とのことだが、鹿島大神宮の境内の推定埋蔵量約14,000トンものペグマタイトは、古来日本の磐座・磐境の信仰による所の御神体という事もあり、採掘を免れたらしい。

鹿島大神宮は781年(天応元年)9月15日に、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮より勧請したのが始まり。
毎年4月の例大祭では境内の神楽殿において、神話にある所作を舞う出雲系神楽である太々神楽が奉納される。
令和2年は、4月18日と19日、および9月20日の午前10時から神楽奉納があった。

写真を見ると、流れてくる溶岩が社殿の寸前で止まったように見えるが、そういう訳ではない。

境内のあちらこちらにはペグマタイトが土中から顔を覗かせていて、小さな社が点在している。

仏様が線刻された巨石が境内のあちこちに在る岩角山岩角寺や、非日常的異空間民芸集落の高柴デコ屋敷は比較的近くに在る。

■□■ 岩脈・神社情報 ■□■
神社名 : 鹿島大神宮
岩脈名 : ペグマタイト岩脈 (天然記念物)
住所 : 福島県郡山市西田町丹伊田宮作239