徳川家康の参謀として活躍し、その後も2代将軍徳川秀忠・3代徳川家光に仕え、上野の寛永寺を創建した高僧“天海(幼名:舟木兵太郎)”の両親の墓があるのが会津美里町(旧:会津高田町)の龍興寺である。
天海は陰陽道に基づいた江戸鎮護を構想し、日光東照宮の建築物配置には風水的論理による大きな関わりを持ったとされる。
1643年に108歳で没したとされ、その5年後に朝廷から慈眼大師号を贈られた。 日光山輪王寺慈眼堂に祀られている。
天海の前半生は謎に満ちており、小説などでは怪僧として扱われることが多い。
その為か明智光秀をはじめ歴史上の色々な人物と同一人物ではないかとする説が多い。
しかし、大正4年に歴史学者の黒板勝美・辻善之助両博士が天海の生誕地確認の為に由緒地を探していたら偶然に龍興寺墓地内から父親の名である「景光」の刻印のある五輪塔二基を発見し、両親の墓が有る事から天海の生地は高田であることが確認された。
それにより全国10ヶ所以上にある生地はいずれも間違いであることが立証された。
旧:会津高田町役場向かいのJA敷地内の一角には天海生誕の地碑が立っている。
大正4年に生誕地と確認された割には、未だに実は足利将軍家12代足利義晴の子であるとか、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀や、本能寺の変で先鋒を務め、琵琶湖の湖上馬越え伝説で知られる明智秀満と同一人物であるとする説が有るのは何故なんでしょう。
龍興寺駐車場の側には立派な蓮池がある。
□■□龍興寺情報□■□
龍興寺
住所 : 福島県大沼郡会津美里町字龍興寺北甲2222-3
電話 : 0242-54-2446
□■□天海生誕地の碑□■□
旧会津高田町役場向かいのJA敷地内
※写真は…
上) 龍興寺 天海の両親の墓
中) 天海生誕地の碑
下) 龍興寺の蓮池
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