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2020年11月20日金曜日

龍興寺 / 大沼郡会津美里町

伊佐須美神社の天海大僧正手植桧木でスッカリ天海モードに成ってしまったので、伊佐須美神社から約1kmほど北に位置する龍興寺にお邪魔した。
龍興寺は天海大僧正が出家得度した寺であり、境内には天海の両親の墓が在る。

2007年7月にお邪魔した事があり、その時は蓮の花は開いて居なかったものの池いっぱいに蓮の葉が広がっていたが、11月も後半に差し掛かった今は、葉も茎も茶色に枯れて、池の周りに配置された石に生えた苔の緑が際立っている。

この龍興寺は、経の一文字毎、下に蓮の葉の装飾を書き入れた国宝一字蓮台法華経開結が保存されている事で知られている。

龍興寺 / 大沼郡会津美里町

天海が随風という名で修行していた頃、夢のお告げで「浮目」と呼ばれる水田から土仏観音像を発見した。1559年に浄林と言う方がこの土仏に似せた木造の観音像をつくり、その胎内に土仏を納めて祀ったとされている。
今は龍興寺境内の浮身観音堂に秘仏として納められている。


天海僧正のご両親のお墓をお参りしようと思ったが、場所を思い出せずウロウロしていたら、運良くご住職に声をかけられ、墓の場所を教えてもらって無事にお参りができた。
ご両親の墓は、浮身観音堂のほぼ真西に在る。
大僧正の両親の墓だからといって仰々しくしていない処が好感が持てる。


□■□龍興寺情報□■□
山号寺号 : 道樹山 龍興寺
住所 : 福島県大沼郡会津美里町龍興寺北甲2222-3
電話 : 0242-54-2446
駐車場 : 寺の裏手に在り
定休日 : 年中無休

※国宝拝観には御志納金及び事前予約が必要。直接龍興寺へご予約ください。

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2007年7月4日水曜日

龍興寺と天海僧正 / 大沼郡会津美里町

徳川家康の参謀として活躍し、その後も2代将軍徳川秀忠・3代徳川家光に仕え、上野の寛永寺を創建した高僧“天海(幼名:舟木兵太郎)”の両親の墓があるのが会津美里町(旧:会津高田町)の龍興寺である。

龍興寺と天海僧正 / 大沼郡会津美里町

天海は陰陽道に基づいた江戸鎮護を構想し、日光東照宮の建築物配置には風水的論理による大きな関わりを持ったとされる。

1643年に108歳で没したとされ、その5年後に朝廷から慈眼大師号を贈られた。 日光山輪王寺慈眼堂に祀られている。

天海の前半生は謎に満ちており、小説などでは怪僧として扱われることが多い。

その為か明智光秀をはじめ歴史上の色々な人物と同一人物ではないかとする説が多い。

しかし、大正4年に歴史学者の黒板勝美・辻善之助両博士が天海の生誕地確認の為に由緒地を探していたら偶然に龍興寺墓地内から父親の名である「景光」の刻印のある五輪塔二基を発見し、両親の墓が有る事から天海の生地は高田であることが確認された。

それにより全国10ヶ所以上にある生地はいずれも間違いであることが立証された。


旧:会津高田町役場向かいのJA敷地内の一角には天海生誕の地碑が立っている。

龍興寺と天海僧正 / 大沼郡会津美里町

大正4年に生誕地と確認された割には、未だに実は足利将軍家12代足利義晴の子であるとか、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀や、本能寺の変で先鋒を務め、琵琶湖の湖上馬越え伝説で知られる明智秀満と同一人物であるとする説が有るのは何故なんでしょう。


龍興寺駐車場の側には立派な蓮池がある。

龍興寺と天海僧正 / 大沼郡会津美里町


□■□龍興寺情報□■□

龍興寺

住所 : 福島県大沼郡会津美里町字龍興寺北甲2222-3

電話 : 0242-54-2446


□■□天海生誕地の碑□■□

旧会津高田町役場向かいのJA敷地内


※写真は…

上) 龍興寺 天海の両親の墓

中) 天海生誕地の碑

下) 龍興寺の蓮池


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